生翠 seisui - 舟醒 shusei’s diary

書画のあれこれエトセトラ

出張「平塚書道教場」

皆様、こんにちは。

師走に入り何かと忙しい時期になりました。
東京はコロナ陽性者が増えて、楽しいクリスマスパーティーも忘年会も、当然控えなければならず、私も楽しみが無くなってしまったようで少し寂しく感じております…

さて、昨日はご依頼を受けて書道指導に当たっております、神奈川県平塚市駅近くの「平塚教場」でのお教室がありました。
きっかけは知人の居合い道場の師匠から、自ら含めて門弟に書を習わせたい、指導して欲しいとのご依頼があり、お引き受け致しました。
月一回のお稽古で9月から始まりました。
今はまだ基礎の止め、払い、はね等の練習で、漢数字を中心にお稽古に励んでおります。
また、書道は学校以来という初心者の方で、どうしても篆書体を習いたい!という熱意にお応えすべく教える事になり、篆書体を習う生徒さんもお一人ですがいらっしゃいます。
今まで複数のお教室をあたったのですが、篆書体だけを習いたいと言うと、断られて諦めていたそうです。

本来ならば私もお断りするのですが、御本人の習いたい熱意に応えるのも書を教える事を志したならば、応えるのは自分自身の鍛錬にも繋がるかと思いお引き受け致しました。
篆書体しか無かった頃を思えば、お道具は違うのでしょうがその字体を習っていた訳ですから、出来ない事はないかとも思います。

話しはそれますが、少し篆書体のお話を…
漢字の起りは象形文字や会意文字に象徴されるように、物の形を取ったものが文字になりました。
別に太古の時代は呪術師による“占い”が支えの時代が有りました。
動物の骨を焼いたり、亀の甲羅を焼いたりして出来たひび割れを、文字にしていきました。
こうした文字が中国大陸で発見され、黄河長江文明の中で見つかりました。紀元前1500年ごろのことです。
それから青銅文化が生まれ青銅器に掘った文字を金文と言い、甲骨文字から変化させた文字に変わっていきました。
紀元前500頃は戦国春秋時代に入り、秦の始皇帝が文字を統一、制定したのが篆書体です。
これまでの字体、甲骨、金文、篆書を「古代文字」と総称して言います。
これから更に時代が降り、隷書、楷行草が筆記具の発展と共に整えられていきます。
楷書が最後に作られた書体ですので、現代では一番初めに楷書から習っていきます。
時代を遡っていくのですね。
こうした歴史を踏まえて、同じ筆文字でも古代文字にあたる篆書体と楷書を基礎とする筆使いは、当然のことながら違ってきます。
お互いに文字の違いを、あれこれと感じながら書いていらっしゃいます。
来年も頑張って書く楽しさ、お道具の面白さや楽しさを広げながら、練習に励みましょう。

今年最後のお教室ということで、お正月飾り用にミニ色紙で一文字、書いてみました。
皆さんそれぞれに好きな文字を一文字選び、自由に遊んで頂きました。
今年一番、盛り上がった時間になったでしょうか。
それまで筆で何か作品を作る、書くなんて…と思っていたのに出来た喜びは、皆さんの笑顔で感じました。
素敵な作品に私も勉強になりました。
ありがとうございました。

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