生翠 seisui - 舟醒 shusei’s diary

書画のあれこれエトセトラ

歴史の中に見る書題材

皆様こんにちは。
三連休最後の日は如何お過ごしでしょうか。
相変わらずおさまらないコロナ禍で、二回目の緊急事態宣言が出されてしまいました。
こんな時だからこそ墨を磨り心穏やかに、そして一心に筆を走らせるのもストレス解消になります。

毎年、初夏に開催されます我が大日本書芸院展の課題に、取り組む日が続いております。
漢詩や近代詩、前衛書等が課題で当たるのですが、今年は半切二行、漢詩が当たりました。
なんと白居易の詩です。

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白居易というより白楽天と書いたほうが分かりやすいでしょうか。
日本では専ら「白楽天」で親しまれています。

南窓背燈坐 風霰暗粉粉
寂莫深村夜 残雁雪中聞

南窓に燈を背に坐せば 風霰(ふうさん)暗(やみ)に粉々(ふんぷん)たり

寂莫(せきばく)たる深村の夜 残雁(ざんがん)雪中に聞く

この漢詩は、白楽天が四十一歳の年に、故郷に帰った時に詠んだものと書いています。
楽天漢詩はよく書にも書かれるものが多く、また、平安時代には当世の文人達に最も影響を与えた唐の詩人でもあります。
それでは白楽天って、どんな人?

唐の中頃の時代の人で、紀元772生〜846年没、役人の家系で父の任地である河南新鄭で産まれました。
故郷は今の渭南県になり、「村雪夜坐」と題されたこの漢詩も、渭南で詠まれたと思われます。
ニ十八歳で科挙の進士に合格、詩を詠む事に長け、途中、左遷の憂き目にも合いましたが七十歳で、これ以上の歳では役職を降りるのが良い、と退官し自身の詩集を編纂、七十五歳で亡くなりました。
白氏文集全七十五巻、その姿勢は杜甫の社会派を踏襲するも、叙情的な詩も多く日本でも親しまれています。

和漢朗詠集には135詩もの漢詩(漢詩最多)が収蔵され、紀貫之26首(和歌最多)を遥かに上回ります。
平安中期三筆にも数えられている藤原行成が、この詩集を書写し残しています。
又、藤原定家「拾違愚草員外」、慈円「拾玉集」等、和歌の中に盛り込まれたりしています。
自然の美しい憧憬を表す「雪月花」も彼の詩から引用したものです。
特に「長恨歌」は、玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を百ニ十句、ハ百四十字で書き上げた壮大な詩です。
楽天、三十五歳の作とされ唐内はもとより、日本でも人気を博し、後世に伝記物や戯曲の素にもされました。
前述の和漢朗詠集にも収蔵され、源氏物語を筆するきっかけにもなったのではないか、と言われる程です。

そんな白楽天の書を書く、という大役にこの時期に課せられとは……
精進あるのみです。

生翠

参考下記写真
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